バーバラ・ヴァイン『ステラの遺産』

 

ステラの遺産 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ステラの遺産 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 

 

「どんな人間でも、どれほど知性が残っていても、70歳になったとたんに子供のように扱われる。とくに老人ホームに入っているとね。理性のある人間としては話かけてもらえず、おだてられたりーー脅かされたり、嘘をつかれる」「お願いだからあなただけは変わらないで。ほかの人たちのようにならないで」

 

引用は、ステラがジェネヴィーヴに序盤のほうで訴える言葉だ。ヴァインがこの本を書いたのは65歳。すでにそのように扱われる兆しを感じていたということだろうか、と勘繰らずにはいられない。

癌で 余命いくばくもない老女、ステラ。彼女には秘密があった。今はもういない夫にも、子供たちにも秘密で所持しつづけてきた、彼女だけの秘密の「家」が。ステラのケアラーであったジェネヴィーヴは、ステラがなぜその家を持ったのか、そこでなにが起こったのか、少しづつ知ることになる。

ジェネヴィーヴとステラの人生には大きな共通点があった。心通わない夫婦生活。そしてそこから逃れるようにしてたどりついた不倫の愛。ステラとジェネヴィーヴは介護人と被介護人という間を越えて友情をはぐくむようになる。時を隔てて起きた不倫の愛の結末はどちらも苦い。苦いだけではない不吉な予感、見てはならないもの、覗いてはならないものを覗く恐怖感が随所に現れるのはさすがにヴァインか。

イギリスの片田舎で暮らしながら、車がないということは「囚人になったも同じ」、書かれた言葉と違い、音を発せられた言葉は、「決して失われることはなく」、「ひょっとすると地球の大気圏すら超えて、宇宙の星々のあいだを漂っていく」などといった表現に惹かれた。

「車社会」は、この作品の重要な鍵となるし、ステラはジェネヴィーヴにじかに過去を語るのと同時にテープにも、より重要な真相をひとり語りつづけていくのだ。

最後のちょっとしたサプライズは、ヴァインによるいつもの素敵なプレゼントのように感じられた。こういうの必ず、最後の方に出してくれるのは作者のサービス精神のようなものでは、と思う。サプライズ過ぎて、ぼんやり読者の私には、「えっと、あなた誰でしたっけ」ってこともよくありますが……。

 

 

バーバラ・ヴァイン 『煙突掃除の少年』

 

煙突掃除の少年 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

煙突掃除の少年 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 

 ブッカー賞候補になったこともある著名な作家ジェラルド・キャンドレスが亡くなった。彼を偲び、娘サラは彼の回顧録を執筆することになる。父の過去について、あまりにも知らなかったサラは父の過去を調べていくことになるのだが、待っていたのは、「ジェラルド・キャンドレス」という名前の人物はとうの昔に亡くなっていたという恐ろしい事実だった。

父はなぜ、偽りの名前を騙り、偽りの人生を生きてきたのか。手がかりと言えるのは、本物の「ジェラルド・キャンドレス」の家族と、彼の遺した小説群だけ(彼の小説は、彼の過去が、なんらかの形で反映されていると思われた)。現在と過去を行き来しつつ、霧のかかった道を恐る恐る辿るかのような捜索の旅が始まるーー。

ちなみに、作家ジェラルド・キャンドレス自身は、自らの祖先を辿ることについてこういう言葉を残している。

「ふたりとも貴族の出というわけではあるまいし。いいかい、きみたちの父親は歴史上はじめての労働者階級の出身だし、母親にしてもせいぜいその次の階級だよ。(略)彼らが誰だか知り、醜い名前をつけることに、どんな意味がある? 」

過去を探られることに後ろ暗い思いがあったとしても、こういう感覚(階級意識)というものは、なかなか日本人にはなじみがないのではないだろうか。サムライジャパンなぞと言ってはばからない日本人に対して、みんな祖先が武士というわけでもなかろうに、ずいぶんノーテンキだな、と思ったりするが、そういう一億総武士的なノーテンキさは、イギリスの堅牢な階級意識を前にすると、それはそれで案外と好ましいものに思えてくる。

「貴族の出ではない」といっても、今では相応の地位を築いている一家が、現在下層階級に属している人々(…そう、本物のキャンドレスに関わりのあるような階級の人たち)を見る目は手厳しい。探偵として重要な役割を果たすことになるジェイソン・サーグ(気持ち悪い、風呂に入ってるのかだの本当に容赦ない描写が続く。ただし、凄く頭はキレるという設定。ま、救いは用意されてはいるが……)など、その筆頭といっていい。

さて、話は妻アーシュラの視点、娘サラの視点を交えつつ進む。妻アーシュラは結婚後徹底的に夫にないがしろにされ続け心に深い傷を負っており、一方のサラ(もう一人ホープという娘もいる)は父に溺愛されて育ち、母アーシュラの心の傷など知るよしもない。このあたりのねっとりとした述懐が大変長くつらいので、若い頃であったら、挫折していたかもしれない。

古いアルバムから記憶が甦り、「そこから来るか!」という鮮やかなエンディングを迎えるまえに。

すみずみまで目が離せないゆえに、読むと時間がかかってしまうヴァイン作品ですが、読み終えた時の満足感ははかりしれません。カフェインも入っていたせいか、読み終えてすぐ私はなかなか寝付けませんでしたよ……。

 

 

 

 

 

 

バーバラ:ヴァイン『長い夜の果てに』

 

 

最近の私は、ルース・レンデル(バーバラ・ヴァイン)にご執心である。そもそものきっかけは札幌読書会で「絶版だけれど『ロウフィールド館の惨劇』をやります!」と言っていたことだったと思うが(もちろん、日本の端から端なので、そんな読書会に参加できるわけではない…)、『ソロモンの絨毯』は所持しているし、前々から気になっていた作家ではあった。

何冊か手にとって、 弱い人間も底の浅い人物も、一般的には「異常」と思われる人物でさえ、なぜそういうふるまいに及ぶに至ったか(もしくは、なぜそんな合理的ではないことをするのか)が克明に描かれていて、その緻密さに圧倒された。

そして、今回読んだのは腐女子方面にも人気のこの作品。

長い夜の果てに (扶桑社ミステリー)

長い夜の果てに (扶桑社ミステリー)

 

田舎町でひっそりと暮らすティムに脅しととれる手紙が舞い込み、そこから彼の過去への回顧録がはじまる。人を惹きつけずにはいられない美貌の持ち主であった彼は、大学時代適当な女の子とつきあい、それがある日突然古生物学者の男にひとめ惚れして、女の子をあっさりと棄ててしまう。

『愛している』という告白に残酷にならずに答えるには、二種類の返事しかない。一つはもちろん、『ぼくも愛しているよ』である。わたしが与えたのはもう一方の返事だった。

「わかっているよ」と言ったのである。

一方で、一目ぼれした男(イヴォー)に対しては、なんと自分から「愛しています」と2回も(!)言ってしまうのだった。

しかし、イヴォーの方もティムにメロメロになるや、ティムはまたもや辟易してきて、今度はイヴォーについていった旅先で出会った女性(イサベル)に激しく惹かれてしまう。彼女に男の恋人がいることを露見してしまっては困る。だが、あくまでイヴォーは自分を離してはくれない……。苦境と偶然が重なり、ティムはイヴォーに対して恐ろしい仕打ちをすることになるのだ。

後半にいくつかの仕掛けがあり、最後は「えっ、あの人が……」という人物が語り手となって物語は終わる。レンデル(ヴァイン)作品は、「えっ、あの人が」ということが多いのだが、それは読者をビックリさせたいということではなしに、たまたま焦点が多くあたらなかっただけで、この人物もまた作中で間違いなく生きているのだ、と思わせる点が素晴らしい。

「たまたま焦点があたらなかった」、それすなわちティムにとってはそれほど重要な人物ではなかったのだということの証左にほかならず、それもまたせつない。